2018/07/09

表現者として生きる人

所属しているバンドall about paradiseが
今週末に開催される「ap bank fes '18」に出演することになった。
私は、自分が人前で歌うことを始めたきっかけである
Salyuというボーカリストと同じ舞台に立つことになる。

彼女の一番好きなところは「表現者」であるところ。
上手く歌うひとはこの世にたくさんいるのだけれど、
Salyuさんは曲によって別人のように化けることができる。
リリィ・シュシュ、Salyu×Salyu、そしてSalyu、
それぞれの活動のなかで、まったく異なるアプローチで異なるものを伝える。
私はそこに一番のあこがれをもって、彼女の背中を追い続けてきた。
※5年位前に書いた文章が出てきたので載せておきます
「私はあくまでもボーカリストであって、表現にこだわることが仕事」
と語っていたことをよく覚えている。
自分の表現したいことを曲にして発信するということ、
つまり、アーティストやシンガーソングライター的な活動のほうが
創造性の点で音楽的に高く評価されがちだが、彼女を見ていると
歌うこと、表現することへの徹底したこだわりを感じさせるボーカリストも
同じように評価されるべきだと感じる。
「大事なのはどんな感情を込めるかではなく、どんな感情に見えるかということ」
という彼女の言葉からは、独りよがりではない、
聴き手への強い意識をもつ姿勢が見て取れる。
歌うこと、そして人に歌を聴いてもらうことを愛する1人として、
私は、Salyuの歌に対する姿勢に感銘を受けずにはいられない。
Salyuの表現力はいつでも、私の目標の1つとなっている。
こうして歌をうたう道に踏み出したのだけれど、
私は誰が見ても特別に才能がある、というタイプの人間ではない。
世の中には、歌が歌えて曲も作れて楽器までうまいなんて人がたくさんいる。
だから当然のように、何度も挫折をくり返してきた。
さらには、音楽がかっこいい・ダサい、売れる・売れないとか、
芸術だビジネスだとか、そんな話ばかりの世界で、
自分が何のために続けているのかわからなくなってくる。
ただ歌でいろんな音楽とその精神性を表現したいという心を
日々、何度も何度も、忘れそうになる。

いま私が歌っているall about paradiseというバンドの音楽は
テクノやエレクトロニクスの要素を多く含んだ、比較的歴史の浅い音楽。
私が自分自身で生み出すことは絶対にできなかったもので、
これまでの自分の辞書にはない言葉がたくさん出てくるような感じ。
自分になじみのないものを表現する挑戦が、単純に楽しい。

今回大きな舞台に立つことになり、改めてここまでの音楽人生を振り返ると、
きっと私は大きく蛇行をくり返しながらも、
自分のやりたいことに向かって進んでいるんだろうと思う。
数年前に、一度だけSalyuさんと言葉を交わしたことがある。
「いつかSalyuさんとかならず同じ舞台に立ちます」
「うん、がんばってね、私もがんばるから」
それが6日後にやってくるなんてまだ半分信じられないけれど、
もしも舞台裏で会えたら、いまも諦めずに背中を追いかけていると伝えたい。
表現者として生きる彼女は、これからもずっと私の目標とする1人だ。