ニューヨーク ロンドン 宇宙の果て
UFO 飛ぶ彼方を
何億年も夢見ては
追いかけた あなたと
機能不全の組織
USO 飛ぶ最中を
何億年と暮らしている
シビレそうな あなたも
きっと知らない世界へダイヴ
保障はないけど
正解かな 不正解かなんて
投げ出してよ
とうに限界を超えているんだ
目を覚ませ
踊っていたい 答えのない
最新世界で
平成と令和 きたるフューチャー
時空を超えあなたを
何億年と見つめていく
もうひとりのあなたと
-----
3日前、急に帰省することを決め飛行機に乗った。
今日は101歳になる祖母が介護される様子を眺めていた。
もう自ら喋ることもなくなった祖母は、
誰かと目が合うとにっこりと笑顔を見せてすぐ無表情に戻る。
次々と口に運ばれてくる半流動食を飲み込みながら、
祖母が何を考え、何を感じているか
私にはほとんど見当がつかなかった。
私がめずらしく田舎の空気を求めたのは、
なんとなく最近のムードから逃げ出したかったからかもしれない。
立て続けに起こる悲しい事件や騒動、選挙などをめぐる議論が巻き起こり、
いろんなところで「違い」がぶつかりあっていた。
多様性の時代と言われはじめて、もうずいぶん経ったように思う。
「お互いの違いを受け入れよう」という社会の雰囲気は
みんなの自由を実現するためにあるはずなのに、
かえって窮屈に感じてしまうのは、なぜだろうか。
(( para-llel ))
血のつながった祖母のことさえもわからないのだから
どこか遠くの惑星に住む宇宙人なんかじゃなくて
一緒に演奏しているバンドメンバーのことも
たくさんの言葉を交わし合う友人のことも
私には、どうしたって実際に理解することはできない。
考えてみると当たり前のことだけれど、
私たち一人ひとりが生きている世界はすべて並行していて
どんなに近くにいる家族や恋人でも世界が交わることはない。
ケガを負った親友の痛みを、
私が実際に感じることは絶対にできないのだ。
頭ではそれをわかっているはずなのに、
私たちは普段、あまりに多くの情報を交換しあっているので、
どこかで理解しあえると思い込んでしまっている気がする。
(( para-lyze ))
それは一種の麻痺みたいなものだ。
情報があふれ、しかもその中には嘘だって紛れ込んでいるけれど
情報の渦に飲み込まれ痺れてしまった頭と心は、
「誰かと完全にわかりあうことなどありえない」ということを忘れ
自分のわからないものを突き放し、ついには攻撃しはじめる。
(( para-dox ))
──私たちは決して理解しあえないことを思い出そう。
違いが違いのままに存在することを受け止めよう。
私たちがいるのは、わかりあえなくて悲しい世界ではない。
それは想像するということ。
「普通に考えて」「常識的に」
それはきっと自分の知っている世界のなかでしか通用しない。
自分のなかにある 普通/常識 に逆らって
知らない世界に飛び込んでみようとする。
それが想像するということ。
101歳の祖母の喜びを、人を殺めた男の悲しみを、国会議員の痛みを、
香港に住む人びとの怒りを、障害者と呼ばれる人びとの楽しみを、
私が実際に感じることはできないけれど、想像することができる。
(( para-site ))
もちろん、いくら想像しても誰かを完全に理解することはできない。
だけど、理解できないことを知っている私たちは、
きっとなにかを超えてゆける。
違いを克服してひとつの正解を導き出そうとするやり方には
もうとっくに限界が来ている。
違いが違いのままに隣り合い、寄り添って生きる時代へ
私は自分自身の手をとって、連れてゆきたい。
-----
*paraの語源、用法については、以下のサイトを参考にさせていただきました。
重要接頭辞 1)para | 概念を孕むこと。