2018/09/10

正しさのスキマ

最近、テレビやインターネットを見ているだけでめちゃくちゃ疲れてしまう。
政治経済のおかしいところにビシッとツッコミを入れる人
マイノリティの権利を守るために叫ぶ人
続く自然災害の被害の記憶を忘れないこと、
そしてこれから起こりうる災害への備えを呼びかける人
いま、世界が「正しさ」の言説にあふれていると思う。
みんなが正しいことを発信して良い社会をつくろうとしていて、
わたしは自分がそれを見るのに疲弊していることに気づく。

わたし自身、幼いころから正しさの魅力に憑りつかれている方だと思う。
成績が悪いと何となくいやな気分になったし、
過去に自分が犯した過ちもなかなか許せない方だった。
ましてや他人の間違いについては、きっといまより全然許せなかった。

正しさは、正しいということそれ自体を武器にして
あらゆるものを傷つけてしまう強い攻撃性を持っている。
インターネットでは、誰にも面と向かわずに、かつ熟考された言葉で正しさを投げつけることができるので、
きっとその力がフルパワーで(ときにはそれ以上の威力を持って)伝わってくるのだと思う。
わたしのここ最近の疲れは、正しさのもつ暴力性というか攻撃性に対する疲弊、
そして、自分が律儀にその正しさにしたがって生きることに対する疲弊なのかもしれないなあと感じている。

わたしはお笑い芸人がやっているくだらない深夜ラジオをよく聴くのだけど、
純粋な話の面白さに加えて、ラジオ特有の急がない間や中身のない会話が
「正しさのスキマ」を提供してくれるものとして、愛している。
芸人たちのトークは世の中的に明らかにNGな内容でもきちんと笑いにしてくれるし、
ハガキ職人も、番組のなかで完結する笑いの世界をしっかりと守ってくれる。
(「笑いのルール」みたいな視点が入ってくるとまた窮屈になってくるので、
わたしはあくまでリスナーとして何も考えずヘラヘラ聴く)
お笑い以外でも、例えば漫画家のさくらももこさんや音楽家の坂本慎太郎さんの作品、
あとはマツコ・デラックスさんにも同じような「正しさのスキマ」を感じることがある。
正しさのスキマとは決して「正しくない」ということではなくて、あくまでスキマなのである。
知らないうちに抑圧されている何かをつかのま解放できる感覚だったり、
正しいことを考えずにいられる空白の時間だったり、そういった感じのものだ。

最近はそんな風にして正しさへの疲れみたいなものを癒しているので、
もしもわたしと同じようなことで疲れているのかもという人がいたら、
ちょっと正しさのスキマに入ってみるのもいいかもしれない。

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